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釧路地方裁判所 平成元年(わ)278号 判決 1991年2月15日

主文

被告人を懲役五月に処する。

この裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は、漁業、水産物の加工及び売買等を営むウタリ共同株式会社の代表取締役であるが、同会社の業務に関し、同会社の監査役である甲及び同会社が株式会社ライブメディアから傭船した動力漁船第二新博丸(総トン数一二一トン二二)の船長として雇用した乙らと共謀の上、法定の除外事由がないのに、北海道知事の許可を受けないで、平成元年一〇月二〇日ころから同年一一月五日ころまでの間、色丹島周辺海域において、同船によりかにかごを使用して花咲がに約5152.5キログラム及び毛がに約777.5キログラムを採捕し、もって、かにかご漁業を営んだものである。

(証拠の標目)<省略>

(弁護人の主張に対する判断)

弁護人の主張は多岐にわたるが、主な点として、判示の事実のうち、船長乙はじめ第二新博丸の乗組員らがなした本件かにかご漁業が、日本の法人であるウタリ共同株式会社(以下、ウタリ共同という。)の業務として行われたものとの点を争い、本件かにかご漁業は、日ソ合弁企業《アニワ》(以下、アニワという。)を代理する監督官ラケーエフの指揮の下に、ウタリ共同とアニワとの間で締結された一九八九年一〇月四日付契約書(以下、本件契約書という。)とソヴィエト社会主義共和国連邦(以下、ソ連という。)漁業省発行の同日付許可証(以下、本件許可証という。)に基づいて、ソ連の法人であるアニワの操業として行われたものであって、ウタリ共同の業務として行われたものではなく、そして、ソ連の法人であるアニワの操業に、日本国の法体系上、北海道海面漁業調整規則が適用されることはないから、船長乙はじめ第二新博丸の乗組員らが同規則違反に問われるいわれはなく、従って、被告人は無罪である旨主張する。それに対する当裁判所の判断は、以下のとおりである。

第一  本件の経緯について

まず、本件の経緯についてみると、前掲関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

被告人は、ソ連サハリン州の少数民族と北海道アイヌ民族との文化交流に関わり、昭和六三年四月に、文化交流団の一員としてサハリン州ユジノサハリンスクを訪問した。その折、サハリン漁業生産公団側から経済交流等の話が持ち出されたことから、被告人は帰国後、共同事業としてサケ科ニジマス属「ドナルドソン」の養殖を具体的に検討しはじめ、そのため七月には、ウタリ共同を設立して、その代表取締役に就任し、甲が監査役に就任した。被告人はその後何度もソ連に赴いて、右養殖事業を進めたが、平成元年六月二一日には、日本の法人であるウタリ共同、ソ連の法令に基づく法人であるサハリン漁業生産公団、サハリン漁業資源保護・再生産・規制局(以下、サハリン漁業規制局という。)及びサハリン太平洋漁業海洋学研究所との間で、ソ連の法令に基づく法人で、日ソ合弁企業であるアニワの設立契約がモスクワで締結され、「日ソ合弁会社設立に関する契約書」が作成された。アニワの目的は、サハリンにおける「ドナルドソン」の人工養殖及びその成魚の加工並びにその国内及び外国市場での販売であり、その本部事務所の所在地はサハリン州ユジノサハリンスクで、総支配人にはメンコフスキーが就任し、六月二六日にソ連財務省に登記がなされた。そして、日本側とソ連側の双方は、資金を得るための方法として、かにの採捕を検討し、メンコフスキーは被告人らにかに採捕は可能である旨の表明をした。そこで、被告人及び甲はそのための準備として、船長乙や乗組員の雇用、株式会社ライブメディアが八月二八日に購入した船のウタリ共同への借入れ、かに漁業のための艤装、漁具等の手配を行った。艤装を終えた船は九月二六日に第二新博丸と船名が変更された。九月二六、二七日ころ、ソ連側からの「かにの話が煮詰まったので訪ソされたい。」旨の連絡が甲のもとに入ったので、九月三〇日、被告人は、甲、乙、乗組員らとともに第二新博丸に乗船して、稚内港を出港して乙の操船で、一〇月一日にサハリン州のホルムスクに入港した。一〇月二日に被告人と甲の二人は上陸して、出迎えのメンコフスキーと通訳のグーとともに、ユジノサハリンスクに赴いて交渉に臨み、一〇月四日にサハリン漁業生産公団で、ウタリ共同とアニワとの間で、ソ連の経済区域内における各種のかにの採捕と加工の共同事業及び日本または第三国の市場への製品の販売を行うことを目的とする契約を締結し、被告人はウタリ共同を代表して署名し、メンコフスキーはアニワを代表して署名し、本件契約書が作成された。その際、ソ連側から、被告人及び甲に対し、本件契約書及びソ連漁業省発行の本件許可証の写しが交付された。その夜甲はグーに本件契約書を日本語に通訳して貰い、それを書き取り、本件許可証の内容もグーに教えて貰い、被告人には翌日伝えた。本件許可証の内容は、第二新博丸でかに漁業をすることができ、漁獲制限量は毛がに三五〇トンをはじめ多量であり、操業水域は北千島、南千島であった。一〇月五日に被告人らはホルムスクに戻り、メンコフスキーから、ラケーエフとプシニコフがソ連の専門家として第二新博丸に乗り組むことを告げられた。船長乙も第二新博丸のブリッジで被告人、甲、ラケーエフ、プシニコフとともに、拡げられた海図を前に、本件許可証の内容を知った。その折、被告人は海図を前に、国後島爺々岳沖の位置を指で示しながら、「ここで昔毛がにが一杯採れたんだ。かご一個に毛がにが四〇キロから五〇キロは入った。ロープ一本入れれば二〇〇個のかごがあるから八トンから一〇トンは採れた。」と説明したところ、乙も「昔はそんなに採れたのかい」等と言っていたが、漁獲制限量が余りに多いので、操業期間内では採りきれないだろうが、ともかく採れるだけ採ろうと、被告人、甲及び乙の三名で話し合った。稚内に帰港して餌の手配等のかにかご漁業の準備をし、一〇月一九日、乙は乗組員一一名、ラケーエフ、プシニコフとともに、第二新博丸に乗船し、甲に見送られて稚内港を出港し、本件かにかご漁業を行うことになった。

以上認定の経緯によれば、平成元年一〇月四日に、ウタリ共同とアニワとの間で、ソ連の経済区域内におけるかにの採捕と加工の共同事業及び日本等への製品の販売を目的とする本件契約書が作成され、また、同日付でソ連漁業省から、国後島、色丹島等の北方四島周辺の水域も含まれる南千島水域及び北千島水域におけるかに漁業を第二新博丸に対して許可する旨の本件許可証が発行されたことから、被告人、甲及び乙は、本件契約書及び本件許可証に基づいて、第二新博丸による本件かにかご漁業を行ったものと認めることができる。

第二  第二新博丸の操業主体について

ところで、弁護人は、本件契約書及び本件許可証に基づいて行われた第二新博丸による本件かにかご漁業が、アニワの業務として行われたものと評価すべき理由として、ウタリ共同とアニワとの間で、船長乙及び乗組員らの労務供給約款付で第二新博丸をアニワに定期傭船させる旨の契約が成立しており、そして、操業主体は傭船者であるから、アニワが操業主体となる旨主張し、具体的には、メンコフスキーはホルムスクで初めて第二新博丸の装備をみてかにの漁獲能力があることを知り、また、乙、甲、被告人らから漁獲可能の確認を得て、第二新博丸をアニワの採取船として操業させる旨決定し、被告人及び甲はこれを了承し、そして、メンコフスキーはサハリン漁業規制局の監督官ラケーエフ及び太平洋漁業海洋学研究所の研究員プシニコフをアニワを代理するソ連側専門家として選任し、ラケーエフには漁獲操業の指揮権を、プシニコフには科学調査活動としての漁獲したかにの検量及び記録の権限を与え、その旨被告人らに伝え、被告人らも第二新博丸はアニワの支配下に入ったという認識を持ち、第二新博丸について、ラケーエフ及びプシニコフを頂点とする指揮命令系統が確立したので、これらの実態等からすれば、契約書は作成されてはいないが、平成元年一〇月四日に、ウタリ共同とアニワとの間で、船長乙及び乗組員らの労務供給約款付で第二新博丸をアニワに傭船させる旨の契約が成立したものと評価すべきである旨主張する。

一  本件許可証と本件契約書について

そこでまず、本件許可証についてみるに、本件許可証の写しは二種類のものがあるが、一方の写し(検察官請求証拠番号二七九、海上保安官作成の平成元年一二月八日付入手報告書添付のもので、甲が本件採捕に係るかにの輸入に伴う通関手続の依頼のために北海運輸株式会社に提出したもの)は「漁労の種類」として、「加工と輸送」とのみの記載であるが、他方の写し(押収してある許可証の写し(平成二年押第三六号の一)で、乙が所持していたもの)は「漁労の種類」として、「採捕、加工と輸送」と記載があり、「加工と輸送」とのみ記載のある写しは、「採捕、加工と輸送」と記載のある写しと比較して、「採捕」のロシア語にあたる部分が空白であり、両者はただこの一点の記載が異なっていて、その余の点は同一であるから、同一の原本からの複写と認められるが、二種類のものとも「漁労の条件」として「操業区域」、「漁獲対象」、「割当トン」、「漁具」、「操業期間」が定められているので、許可が「加工と輸送」についてのみで、「採捕」についての許可がないとするならば、これら「漁労の条件」についての各記載は無意味であるから、本件許可証の原本には「漁労の種類」として「採捕、加工と輸送」の記載があったものと認めるのが相当であり、甲が北海運輸株式会社に提出した本件許可証の写しは、「採捕」部分が抹消されて複写されたものと認めるのが相当である。そして、本件許可証には、「船の名称」として「第二新博丸」、「船の型」として「カニ漁、エビ漁」、「船の国籍と母港」として「日本、東京」、「船主と船主の住所」として「ウタリ共同、北海道、標津、伊茶仁、九六」、「船長の名前と住所」として「乙、北海道、稚内、緑、六―六」との記載があることから、本件許可証がソ連漁業省の発行した、乙が船長として乗船する第二新博丸に対する「カニ漁、エビ漁」の「採捕、加工と輸送」の許可証であると認めることができる。

次に、本件契約書についてみるに、この契約はアニワとウタリ共同との間で締結されたものであるが、それによれば、契約の対象は「ソ連の経済区域において、各種のカニの採捕と加工の共同事業、および日本または第三国の市場における、製品の販売を行う」ことであり(1・1 以下、括弧内の算用数字は本件契約書の条項を示す。)、契約目的遂行のために、ウタリ共同は「操業区域に受け取りと加工の船を差し向け」、アニワは「自分の割当制限量を用いて、生産能力にふさわしい荷積みに必要な量の原料を加工船に供給する。」(1・2)こととし、アニワは、「加工船に対する一昼夜ごとの原料のカニの引き渡し量が、少なくとも一〇トンになるため」に、「操業区域に、必要な数の採取船を差し向ける。」義務を負い(2・1・1)、ウタリ共同は、「各種のカニの製品の加工と輸送のための設備が整った」船を、「操業区域に受け取りと加工の船として差し向ける」義務を負う(2・2・1)、また、ウタリ共同は「受け取りと加工の船自体を、または別の輸送船を」利用して、「仕向け港への製品の輸送」を請け負い(3・1)、そして、「加工船が十分に稼働するための原料が足りない場合」には、ウタリ共同は、「自力でカニの漁獲を行う。」義務を負い(2・2・3)、「加工船上にソ連の専門家二名を受け入れ、彼等に個々の船室、……食事、防寒の作業服を提供し、さらにアニワの船とアニワの本部事務所との無線連絡を常時確保」し(2・2・4)、「ソ連の専門家たちの要求をすべて実行」する義務を負う(2・2・5)旨合意されており、これらの合意は、アニワの採取船はかにの採捕を担当し、ウタリ共同が差し向ける加工船は、原料となるかにの受け取りと加工と輸送を担当し、原料のかにが足りない場合には、自らかにの採捕も担当し、また、ウタリ共同の加工船にはソ連の専門家二名を乗船させなければならないものと解するのが相当である。

そして、本件許可証及び本件契約書を対比すると、第二新博丸に対しては、「カニ漁、エビ漁」につき「採捕、加工と輸送」が許可されているが、アニワの採取船は「採捕」の業務を担当するだけであり、「採捕」に加えて「加工と輸送」の業務も担当するのはウタリ共同の差し向ける船であること、ソ連の専門家二名が乗船する船は、アニワの採取船ではなく、ウタリ共同の加工船であるが、第二新博丸にはラケーエフ及びプシニコフのソ連の専門家二名が乗船していたことが認められ、以上を勘案すれば、第二新博丸はウタリ共同の差し向けた採捕・加工・輸送を行なう船というべきである。

二  第二新博丸の操業の実態と傭船契約成立の主張について

前掲関係各証拠によれば、次の事実が認められる。

ラケーエフは片言の日本語を話すだけで、プシニコフは日本語が全然話せず、第二新博丸の乗組員らが見張り当番でブリッジにいるときに、二人のソ連人がブリッジに入って来ることがあったが、乗組員らは二人のソ連人から操船上のことで何らかの指図を受けたことはなく、また、乗組員らは船長乙が二人のソ連人から操船上のことで指示されているのを見たことも聞いたこともなかった。二人のソ連人は第二新博丸船上で採捕したかにの総重量を計量したり、一匹ずつのかにの大きさや重さを計り、雌がにを海に戻すように乗組員らに指示をしたり、無線で連絡をとるなどしており、ラケーエフは忙しい時には乗組員らのえさづけを手伝ったりすることもあった。また、ラケーエフは、採捕されたかにをウタリ共同が輸入手続をとって日本国内に陸揚げする際、仕入書にアニワを代理して署名をしていた。ラケーエフの本職はサハリン漁業規制局の監督官で、臨時に第二新博丸に乗り組み、プシニコフは太平洋漁業海洋学研究所サハリン支部の研究室長で、本件許可証に基づき科学調査のために第二新博丸に乗り組んでいたのであって、二人ともかに漁業を行う漁師ではない。第二新博丸は、稚内でラケーエフがロシア文字でアニワとベニヤ板に書いた表示を取り付けて、一〇月一九日に稚内港を出港した。それから一日半位九ノット前後で航海した後、最初にかにかごを海に入れてみたが、全然かには採れなかった。そこで、次々と漁場を移動して漁を試み、数日経ってやっとかにが採れる漁場に行き当ったのであるが、乙は、操業の日付、海中に設置したかにかご数、かにの種類別の漁獲量及び操業位置、即ち、かにかごを海に入れ始めた位置と入れ終わった位置の経度、緯度、水深につき船内の航海機器で測定した結果を大学ノートに記録をとっており、乙が次々と漁場を移動して行く判断をしており、乙の鳴らすベルの合図で乗組員らは甲板に集まってかにかご漁業を行なっていた。乙は甲と「用事があれば稚内と根室の漁業無線局に連絡するし、船舶電話でも連絡する」旨打ち合わせて、一〇月一九日に稚内を出港し、操業を始めて、思ったほどかにが採れないので、毛がに用の小さなかにかごの使用の必要性を甲に連絡し、これを甲から聞いた被告人が毛がに用のかにかごを知人から借り入れる手配をした。乗組員の負傷事故の発生の連絡、病院の手配の依頼、釧路入港に際し採捕したかにの陸揚げの手配等を乙は甲に船舶電話で行なっていた。かにかご漁業は一二月三一日までが予定操業期間であるのに、洋上で第二新博丸に乗船してきたソ連の係官から操業は既に一一月二日に短縮された旨の連絡指示により、操業を打ち切らざるを得なくなった際、乙は船上のラケーエフにではなく釧路の甲に指示を仰ぎ、かにが死んでも構わないから稚内に帰港せよとの甲の指示に従った。甲は釧路の水産会社にかにの販売を委託し、受け取ったかにの販売代金は株式会社ライブメディア等に対する自己の借入金の返済に全額使用し、アニワの操業としての漁労経費に関する収支明細の記帳はしていない。そして、本件契約書では、ウタリ共同はソ連の専門家二名に「アニワの本部事務所との無線連絡を常時確保する」義務を負っており(2・2・4)、また、「ソ連の経済区域における漁業規則を遵守すべく、ソ連の専門家たちの要求をすべて実行し、……採取される原料の品質規準と操業条件とに従う」ことが義務となっており(2・2・5)、そして、「加工船に入荷する原料の算定は、船上にいるソ連の専門家の一人が行う。この者は……、販売に出す前の製品の、受け渡し用の伝票にサインをする全権が与えられている。」し(3・5)、「加工に適さないカニや、雌ガニや、……混獲物は、生きたまま海に戻さなければならない。」(付録第二号条件の2)旨の合意がなされている。また、本件許可証には、操業区域、漁獲対象、割当トン、操業期間等の漁労の条件が定められているとともに、「科学調査は、太平洋漁業海洋学研究所サハリン支部の研究室長プシニコフの指導のもとに行われる予定である。」との記載がみられる。そして、第二新博丸の船舶所有者は株式会社ライブメディアで、ウタリ共同は船舶借入人として月二〇〇万円の傭船料で第二新博丸を右会社から借りていた。右会社の代表取締役新崎博雄は、第二新博丸を貸した相手はウタリ共同であり、第二新博丸をソ連の人や企業に貸したことも使用させたこともない旨言明しており、転貸の承諾はなされていない。また、甲は第二新博丸を将来アニワに現物出資する予定であった旨の供述はするものの、アニワへの傭船については、甲、乙及び被告人も供述するところはない。メンコフスキーは、本件かにかご漁業に第二新博丸が関係していたことについて作成した「声明」と題する書面(以下、声明文という。)において、本件かにかご漁業が本件契約書及び本件許可証に基づいて行われたことを述べるとともに、「本件契約書に対する彼らの係わり合いはソ連側に船を提供することだけであった。」と述べているが、この文言は船の提供も本件契約書に基づいていることを述べているのであり、本件契約書の外に傭船契約についてメンコフスキー自身が言及しているものはない。そして、第二新博丸の海員名簿は乗組員らを雇用している者はウタリ共同であることを示しており、船長乙は、九月に乗組員らを雇用するに際し、報酬の最低額を保障し、利益があれば加算する旨の約束を乗組員らにしていた。ウタリ共同は自己の計算で乗組員らの報酬を支払い、その外に本件かにかご漁業のために出損しているのに、アニワとウタリ共同との間で傭船料について話し合われた形跡はない。費用の点に関して、本件契約書では、ウタリ共同はかにの販売によって得られた金の「支払いを円滑かつ簡素に行うため」に、本件契約書の付録第一号により毛がにであれば一トン当り一五〇万円、花咲がにであれば一トン当り三〇万円といように固定された価格で算定された金額(4・2)を、アニワの口座に、「製品を引き渡されてから、二〇日後までに、送金する。」(4・4)等の規定が主なものであって、ウタリ共同がアニワに送金こそすれ、アニワからウタリ共同に金を支払う旨の、傭船料を窺わせる規定はない。また、弁護人主張のように、メンコフスキーがホルムスクで初めて第二新博丸の装備をみてアニワの採取船として傭船することを思い付いたのであれば、その後、メンコフスキー、被告人及び甲はユジノサハリンスクに赴いて、本件契約書の交渉作成に当たったのであるから、傭船に関する文書が存在してしかるべきであるにもかかわらず、本件契約書に第二新博丸のアニワへの傭船に関する規定は存在しないし、他の傭船に関する契約書も作成されていない。

以上の事実を総合すれば、ラケーエフやプシニコフの船上での言動は、本件契約書及び本件許可証の取決めを履践したに過ぎず、船長乙が漁労長を兼務して、本件契約書及び本件許可証の規制のもとに、自らの判断で漁労を遂行したもので、本件かにかご漁業の指揮命令は乙がなしたというべきであり、また、乙と甲間の本件かにかご漁業に関する連絡と指示、採捕したかに及びかに販売代金に対する甲の自由な処分権限、アニワの支払うべき傭船料についての取り決めの不存在、傭船契約が文書化されなかった不自然さ、更に、弁護人主張のように、第二新博丸がアニワに傭船されたとすると、第二新博丸はアニワの採取船であると同時にウタリ共同の加工・輸送船でもあるということになるが、そのことは、本件契約書でアニワとウタリ共同の二当事者のそれぞれの義務が規定されていることに照らして矛盾であること、これらを総合勘案すると、結局、ウタリ共同とアニワとの間で、船長乙及び乗組員らの労務供給約款付で第二新博丸をアニワに傭船させる旨の契約は成立していないものと認めるのが相当である。

もっとも、乙の供述の中には、「操業の場所を移動したりする判断はラケーエフがした」、「かにかごを海に入れる時は、ラケーエフの指示を受けて私がベルを押し、乗組員に合図をした」旨の供述があり、甲の供述の中には、「アニワが乗組員らの報酬を決め、アニワが乗組員らの報酬を支払った」、「操業の結果得た利益の分配については、アニワの漁労経費を差し引いて当事者で分配する」旨の供述があるが、これらの供述は関係各証拠と対比していずれも信用することはできない。また、メンコフスキー作成の声明文の中には、ラケーエフとプシニコフこそが、「船長乙に漁業開始と漁業区域についてしかるべき指令を下したのである。」旨の記載があり、ラケーエフ及びプシニコフが乙に指揮命令をした旨述べているが、声明文を全体としての文脈で読むと、「第二新博丸は、……本件許可証に基づき、南千島漁業区域のソ連経済海域内でかに漁を行った。」とか、「本件かに漁業についての指令は本件契約書が調印された後に、私個人が下したものである。」とか、「アニワの代表者ラケーエフとプシニコフは本件契約書の条件の遂行の監視を任されていた。」との記載があって、声明文は本件かにかご漁業が本件契約書と本件許可証に基づいて行われたことを述べているものと解するのが相当であり、そして、操業期間、漁業区域は本件許可証に定められているのであり、乙のみならずラケーエフ及びプシニコフも本件許可証の制約の下にあったのであるから、「漁業開始と漁業区域についてしかるべき指令」といっても、その指令は本件許可証に基づく指令であると解され、右指令をアニワを代理するラケーエフの漁獲操業の指揮権の行使であるとみることはできない。

なお、検察官はメンコフスキー作成の声明文について、声明文が特に信用すべき情況の下になされたものではないとして、証拠能力を有しないと主張するので、付言するに、メンコフスキーが国外にいるため公判準備若しくは公判期日において同人の供述を求めることができないことは明らかであり、また、第二新博丸で行われた本件かにかご漁業は、ソ連の法人であるアニワと日本の法人であるウタリ共同との間で締結された本件契約書及びソ連漁業省発行の本件許可証に基づいた操業であることは、前記認定のとおりであるが、ソ連側の当事者や関係者の供述等の証拠は一切なく、本件契約書及び本件許可証もいずれも写しでの証拠であるところ、メンコフスキーはアニワの総支配人であり、ソ連側の重要当事者の一人であって、その声明文はソ連側の当事者の唯一の供述書であるから、犯罪事実の存否の証明に欠くことができないものというべきであり、そして、声明文の作成の経緯については、証人村岡啓一及び同福渡淑子の当公判廷における各供述並びに村岡啓一作成の写真撮影報告書によれば、平成二年五月九日に稚内のホテル「さかえ」で、保釈中の被告人とメンコフスキーがアニワの平成二年度の事業計画について話し合うため面談した際、その面談許可決定には弁護人及び弁護人の指定する通訳を介して行う旨の条件が付されており、それに従って、村岡弁護人は通訳福渡淑子とともに面談に立会った機会を利用して、本件刑事事件につき、メンコフスキーにラケーエフとプシニコフの法廷への出頭を求め、裁判への協力を依頼したところ、メンコフスキーは、ラケーエフらはアニワの職員ではなく当時アニワに臨時で雇用されていたもので、自分の命令を遂行しただけであり、責任は全て自分にあるから、ラケーエフらの出廷を求めても意味がないし、自分も出廷するつもりはない旨述べて、出廷の依頼を拒否したが、公開の法廷に出られない代りに、自発的に、村岡弁護人の面前で声明文の内容を申述し、翌日、公的機関に対して申述する際のロシア流の公式文書の形式に則った文書である声明文を作成したことが認められ、右事実によれば、メンコフスキー作成の声明文は、作成の日時、場所、経緯が明らかであり、特に信用すべき情況の下で作成されたものと認めるのが相当であって、以上を総合すれば、声明文は刑事訴訟法三二一条一項三号書面として証拠能力を有するものと解するのが相当である。

三  操業主体の認定について

以上、本件許可証と本件契約書を対比解釈し、第二新博丸の操業の実態と第二新博丸のアニワへの傭船契約の不存在に鑑みると、船長乙と乗組員らが行なった第二新博丸による本件かにかご漁業は、本件契約書2・2・3に規定されたウタリ共同の義務として、ウタリ共同が「自力でカニの漁獲を行った」もので、ウタリ共同の業務に関して行われたものと認定するのが相当である。

第三  結論

以上の次第で、本件かにかご漁業は、我が国の法人であるウタリ共同の業務に関して営まれたものであり、そして、我が国の漁業を営む者に対して、本件操業海域が漁業調整の見地から北海道海面漁業調整規則五条の無許可漁業の禁止の効力が及ぶ範囲に含まれるものと解するのが相当であるから、弁護人の主張は採用しない。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法六〇条、平成二年北海道規則第一三号(北海道海面漁業調整規則の一部を改正する規則)による改正前の北海道海面漁業調整規則五五条一項一号、五条一五号、五七条に該当するので、所定刑中懲役刑を選択し、その所定刑期の範囲内で被告人を懲役五月に処し、情状により刑法二五条一項を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法一八一条一項本文によりこれを全部被告人に負担させることとする。

(裁判長裁判官小倉正三 裁判官櫻林正己 裁判官蜂須賀太郎)

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